先進国で飲料水を普遍的に利用できるようになったことは、公衆衛生上の大きな歴史的成果の 1 つに数えられます。高品質の飲料水を作るためには、取水源の水がきれいであることが不可欠です。そのため、水質モニタリングでは、規制対象外の汚染物質も含めた包括的なスクリーニングがますます重視されるようになっています。この傾向は、米国および欧州の環境規制が厳格化され、その対象化合物が増え続けていることにも現れています。追加対象の化合物の多くは、医薬品やパーソナルケア製品 (PPCP)、農薬、これらに由来する変換生成物質など、人間が作り出した大量の化学物質です。これらの化学物質は、人々の健康に悪影響をおよぼす可能性があるにも関わらず、その多くはまだ明らかになっていないのが現状です。通常、これらの環境汚染物質は、廃水処理施設 (WWTP) からの放流水として表流水に合流します。既存の廃水処理方法では、これらの汚染物質を完全には除去できないためです。
この記事では、Agilent UHPLC と高分離能の飛行時間型 Q-TOF の LC/MS システムによるスイス国内の 4 箇所の WWTP で採取した放流水サンプルの環境汚染物質スクリーニングについて紹介します。新しい Agilent LC/MS ウォータースクリーニングパーソナル化合物データベースライブラリ (PCDL) をデータ解析に用いることで、EU 水フレームワーク指令 (WFD) の規制対象となっている幅広い化合物の他、存在が疑われる広範な水中汚染物質を高い信頼性で評価することができました。
WWTP 放流水の網羅的なスクリーニングには、Agilent MassHunter LC/MS ウォータースクリーニング PCDL を使用しました。この PCDL には、米国、欧州、日本、および中国で現在規制対象となっている 1,400 種類以上の化合物の他、PPCP などの新規汚染物質、環境で検出事例のある汚染物質など幅広く検出される可能性のある汚染物質が登録されています。
廃水処理方法、集水地域、および給水対象住民の異なる 4 箇所の WWTP から放流水サンプルを採取して、分析しました。サンプルは、主な農薬散布期間がカバーできる 3 ~ 6 月に 9 回、14 日間に渡って採取しました。
WWTP の放流水サンプルは、Agilent LC/MS システムと PCDL を使用して、ターゲットスクリーニングと汚染物質候補のスクリーニングの 2 種類のスクリーニングワークフローで評価しました。ターゲットスクリーニングでは、Agilent All Ions MS/MS 手法を使用して放流水サンプルを分析し、約 390 種類の化合物をリファレンス標準と直接比較しました。データマイニングツールとして Find by Formula アルゴリズム、化学式の情報源としてウォーター PCDL を使用しました。All Ions 手法を組み合わせることで、プリカーサイオンおよびフラグメントイオンの共溶出スコアをもとにして、ターゲット化合物と候補化合物を明確に同定することができました。
汚染物質候補のスクリーニングにおいて、リファレンス標準が利用できない化合物を Agilent All Ions MS/MS 手法によって同定する場合でも、基本的に同じアプローチを行います。精密質量および同位体パターンの比較と PCDL のスペクトルデータにもとづく MS/MS フラグメントの共溶出スコアから、高い信頼性で汚染物質候補を暫定的に同定することができました。
ターゲットスクリーニングでは、リファレンス標準から多数の環境汚染物質が同定されました。給水対象住民が比較的多い、より大規模な WWTP の放流水からは、医薬品残留物が多く検出されました。4 箇所の WWTP の放流水から、メトプロロール、ジクロフェナク、イブプロフェン、ナプロキセン、メトホルミンなど広く利用されている医薬品を含む合計 33 種類の医薬品とその代謝物が同定されました。図 1 は、抗ウイルス薬アシクロビルの精密質量 MS/MS スペクトルを表示した MassHunter PCDL Manager ソフトウェア画面です。
この 4 箇所の WWTP で採取したサンプルからは、アゾキシストロビン、DEET、リニュロン、メタミトロン、メソミル、メトリブジン、スピロキサミン、テルブチラジンを含む合計 46 種類の農薬と除草剤も検出されました。農薬が最も頻繁に、また高濃度で検出されたのは、農業を主要産業とする集水地域の施設の放流水でした。
リファレンス標準に含まれる化合物およびターゲットスクリーニングで分析した化合物に加え、汚染物質候補を幅広くスクリーニングするために、放流水サンプルで、ウォータースクリーニング PCDL に含まれるその他すべての化合物を検索しました。Find by Formula アルゴリズムでクロマトグラムから抽出したプリカーサイオンの化学式情報を Agilent ウォータースクリーニング PCDL に供しました。PCDL に利用できるリファレンススペクトルがある場合は、最も存在量の多いフラグメントイオンのクロマトグラムが同定のため重ね表示され、共溶出スコアが計算されます。図 2 に、給水対象住民が比較的少ない処理施設の放流水で検出されたアンギオテンシン受容体拮抗薬バルサルタンのクロマトグラムを示します。分子イオンと、少なくとも 1 つまたは 2 つのフラグメントの抽出イオンクロマトグラムが完全な共溶出を示し (共溶出スコアが 100 中 90 超)、分子イオンとフラグメントの両方のピークスペクトルの質量精度が 5 ppm 以内の場合に、高い信頼性で同一物質であると見なしました。このクライテリア設定により、カンデサルタン、イルベサルタン、ロサルタン、クラリスロマイシン、フェキソフェナジン、シタグリプチン、セリプロロール、クロピドグレル、フェニルベンズイミダゾールスルホン酸、その他の PPCP が同定されました。さらに 9 種類の農薬と有機リン酸も検出されました。
精密質量 MS/MS スペクトルを取り込み、MS/MS ライブラリ検索を実行すると、さらに信頼性の高い同定が可能になります。図 3 は、廃水処理施設の放流水中で検出された抗糖尿病薬メトホルミンの精密質量 MS/MS スペクトルと、Agilent ウォータースクリーニング PCDL に登録されている参照スペクトルの比較です。メトホルミンは分子イオンの質量数が小さく、フラグメントの質量数はさらに小さいですが、ライブラリ一致スコアが 95.4 であることから、高い信頼性でメトホルミンの存在を特定しました。
Agilent LC/MS ウォータースクリーニングワークフローソリューション (5991-6536EN)は、水中の既知汚染物質および汚染物質候補を高い信頼性で幅広くスクリーニングすることが可能です。Agilent PCDL はカスタマイズ可能であり、新たに同定された対象化合物を追加して拡充できます。Agilent Q-TOF プラットフォームの All Ions 取り込み機能を使用すると、実質的に無制限数の化合物のプリカーサイオンとフラグメントをノンターゲットで取り込むことができます。Agilent PCDL MS/MS スペクトルのフラグメント情報にもとづく共溶出スコアを用いれば、リファレンス標準がなくても、推定に基づいて一致する化合物を特定することができます。さらに、レトロスペクティブ分析では、分析をやり直さなくても、いつでもデータの再解析やデータマイニングを行い、サンプルから新規汚染物質を調べることができます。WWTP の放流水の汚染物質スクリーニングを行うことで、放出される汚染物質の季節変動パターンや集水地域に関する情報、各施設で使用されている処理プロセスの効率を明らかにすることもできます。
今回の調査では、Agilent LC/MS ウォータースクリーニングワークフローソリューション (5991-6536EN)を用いて、WWTP の放流水で、既知汚染物質の他、新規 PPCP や、環境に影響を与える産業由来のその他化合物を包括的にスクリーニングすることができました。このようなスクリーニングを活用することで、公衆衛生への悪影響を早期に食い止めることができるものと考えられます。アジレントの水質分析ソリューションについては、アジレントにお問い合わせください。
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