重要ポイント
- 現在、科学においては次の大きな変化の転換期にあり、それは医療分野も例外ではありません。
- 広く公開されている DNA 配列情報のメガトレンドが、生物学的な発見とオリゴヌクレオチド治療薬の開発を促進しています。
- 精密医療はすでに治療方法に変化をもたらしており、今後数十年の間に目を見張るような進展が期待されています
しばしば技術発展の世紀と呼ばれる 20 世紀においては、技術が爆発的に進歩し、現代の暮らしも一変しました。
現在も発見と開発のうねりは続いており、特に生物学において顕著です。後世の人々が、21 世紀を生物学の世紀として振り返る可能性は大いに考えられます。1
マウスモデルの乳癌ターゲットにマイクロ RNA を運ぶ、自己組織化ナノ粒子
DNA 配列:生物学の根本原理
明確な展望のあるメガトレンドの 1 つは、生物学的発見の原動力となる、広範な DNA 配列情報に関する知見の獲得です。精密医療や細胞製造などの技術は、DNA 配列情報を強力なツールに変換できる状態にあります。
精密医療は、分子レベルで疾病を理解して治療することが可能で、腫瘍学などの分野において革新的変化を牽引しています。したがって、腫瘍サブタイプの分類と治療は、肺、乳房、大腸などの原発臓器の検証から、バイオマーカー変異の有無(例:EGFR、HR+/HER2、BRAF)へと移行しています。
実用的な目的のために細胞を再プログラムできる細胞製造が拡がり始めており、産業バイオテクノロジーに変革をもたらしています。従来、石油化学処理によって製造されてきた多数の化学物質や材料が、現在は遺伝子操作された生体細胞によって作られています。細胞製造では、配列情報に加え、細胞代謝および経路の相互依存性を十分に理解することが必要です。このような理解が、質量分析の進化に伴い入手可能になりつつある大量の代謝情報によって加速されているのです。
RNA 分子の図
精密医療およびヒトシーケンス情報の実用
精密医療では、これまで見逃してきた重要な要素を追加することにより、治療効果を向上させることを目指しています。関連分子情報を検査することで得られる患者固有の生体情報を、治療方針に取り入れて検討します。この記事では遺伝子配列に注目していますが、精密医療により実現される治療成果は広範で、プロテオミクス、メタボロミクス、リピドミクス、グライコミクス分子情報を含みます。
下記の例では精密医療の原動力として遺伝子配列に焦点を当てており、その対象範囲が数百万人、数千人、あるいはたとえ 1 人の患者であったとしても、精密医療にいかに可能性があるかを示しています。それぞれのケースで、新しい治療の要素となっているのがオリゴヌクレオチドです。オリゴヌクレオチドは RNA または DNA の短い配列(100 塩基ペア未満)であり、多様な作用機序を利用してターゲットと相互作用できます。
メガトレンドによるインパクトの重要な例:心血管疾患
PCSK9 遺伝子のシーケンシングによる心血管疾患の治療が進展しています。この遺伝子の多様な変異が、多数の疾患の要因である、高い低密度リポタンパク質(LDL)コレステロールレベルに関連していることが明らかになっています。この遺伝子がある役割を果たしている(高い LDL レベルは単に貧弱な食生活の問題ではない)ということを理解することが、Inclisiran の開発に寄与しました。Inclisiran は、PCSK9 遺伝子を抑制し、LDL コレステロールレベルの大幅な低下に対し臨床的に有効な、低分子干渉 RNA(siRNA)医薬品です。
細胞膜上で LDL 受容体に結合する LDL 粒子
原則的に、このような配列ベースの知見は、数百万の患者の生命に影響を及ぼす可能性を秘めています。この医薬品(Novartis/Alnylam)は欧州で承認されており、米国 FDA は 2021 年 12 月に承認しました。Inclisiran による治療が有効な患者かを特定するために、 PCSK9 遺伝子のシーケンシングによる変異解析は現在も不可欠のツールとなっています。
メガトレンドによるインパクトの重要な例:多発性神経障害
遺伝性トランスサイレチン型アミロイドーシスとして知られる衰弱性の症状の治療が進歩を遂げています。トランスサイレチン(TTR)遺伝子のシーケンシングにより重要な変異が明らかになり、遺伝子標的治療による戦略の可能性が開けました。FDA に承認された初の siRNA 医薬品である Alnylam 社の Onpattro(patisiran)は、この遺伝子を有効に抑制し、大多数の患者で多発性神経障害の進行を止め、数千人の生活の質を向上させました。2 「siRNA 治療薬がどのように疾患の原因や寄与因子となっている特定の遺伝子を抑制し、希少および蔓延している疾病の患者たちの生活を一変させるか、まだほんの一端を見たに過ぎません」と、Alnylam 社の最高技術運用および品質責任者である Al Boyle 博士は述べています。
メガトレンドによるインパクトの重要な例:バッテン病と Mila のレガシー
すべての精密医療で最も個人的な成果を示すものが Milasen の開発です。Milasen は、Harvard Medical School で遺伝子およびゲノミクス部門主治医、小児科准教授を務める Timothy Yu 博士と、Boston Children's Hospital の Yu 博士のチームによって作成された、唯一無二の治療薬です。Milasen は、変異による疾患を有する 1 個人の患者を対象とした治療薬です。3 2017 年、重病患者である Mila Makovec という小児の DNA 配列情報により、CLN7 遺伝子の機能を無効にし、バッテン病を引き起こす遺伝的変異が明らかになりました。バッテン病は、最終的に死に至らしめる神経系の深刻な疾患 3 です。
Mila のために、カスタマイズされたアンチセンスオリゴヌクレオチド治療薬が開発されました。FDA による承認後、独自の変異が特定されてからわずか 9 か月後に Mila は投薬を受けました。この治療により Mila の症状は大幅に改善されました。発作の回数と長さが低減され、2021 年に死亡するまでの数年間において、生活の質が向上しました。Milasen は、疾患関連変異を熟知することにより、良好な臨床成果を得ることが可能であるということのケーススタディです。現在、「n of 1」試験と呼ばれているこのような治療は、この事例のような遺伝的要因の疾患に対し、これまで不可能と思われていた治療が実現可能であることをまさに示しています。「Mila のレガシーは、まさに個人向けのゲノム医療がどのようなものかを示してくれた、ということです。「患者が精密診断をこれまで以上に利用できるようにすることにより、遺伝子配列の使用に対して扉が開かれ、患者個々人向けに治療薬をカスタマイズすることができます。それがどれほど希少な疾患であってもです」と、Yu 博士は説明しています。
メガトレンドによるインパクトの重要な例:標的治療
メガトレンドとなっているこれらの精密医療の取り組みが登場し、早期に成功を収めていることにより、医薬品業界の治療薬開発の方法に明確な変化が生じています。1 つのメリットは、より小規模で、明確に定義された患者集団を対象とする臨床試験を大幅に効率化できるということで、医薬品を市場に送り出すまでの障壁が大幅に縮小しています。さらに、一般集団の 20 % でしか有効でない、新たに開発された医薬品で、より小規模で、より細かく定義された対象患者集団のために、はるかに高い有効率と、FDA 承認を実現できる可能性があります。「医薬品を救済する」このようなアプローチは、分子に関するより深い知見を治療法に取り入れることで実現された直接的な結果です。これは、医薬品企業に対し、そうでなければ放棄されていたかもしれない、特定の研究開発への投資努力を回収するための可能性のある方法を提供します。
来るべき未来:生物学の予測
精密医療と細胞製造のメガトレンドには、共通の原動力があります。過去 20 年の間に、科学が主に定性的から、より定量的に移行する中で、生体を理解し、特性解析する能力に顕著な変化が生じたということです。このような変化は、物理科学におけるやり方と同じように、ゆくゆくは生体を理解し、モデル化し、予測できるという見通しをもたらしています。これは、現在の能力の先にある、極めて複雑な命題です。根本的なレベルにおいて、分子レベルで生体を理解し制御できる能力が深まるにつれ、疾患に対する理解と並行して、産業バイオテクノロジーの発展が促進されます。
CRISPR によるエンジニアリングと編集
読み取れる情報を編集
その登場以来、シーケンシングツールは、速度、精度、手頃な価格、アクセスのしやすさの点で、急速に改善されてきました。これらのツールによって明らかになった、累積された配列情報により、研究者たちの調査に必要とされるバイオインフォマティクスツールも同様に向上しています。
このような配列情報は DNA 編集のための基盤となり、CRISPR(Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeats)など、細胞工学ツールの開発を促進しています。CRISPR では、その機能により遺伝子配列の正確な相関関係を把握でき、生来の状態を超えて細胞の機能を向上させる方法を提供します。このように豊富な配列情報により、メタゲノミクスやマイクロバイオームといった分野の研究が可能になりました。これらは、現在までほとんど不可解だった、非常に複雑な分野です。
バイオ医薬品企業との連携
20 年以上にわたり、DNA および RNA の化学合成を牽引してきたアジレントは 、継続的にオリゴヌクレオチドの合成長と配列の正確性を改善し、重要なアプリケーションの幅を拡大しています。構造的には DNA とわずかに異なるだけの RNA ですが、その化学合成ははるかに複雑で困難です。アジレントは 2006 年、次世代の治療薬として RNA の可能性を認識し、オリゴヌクレオチド API の GMP 製造能力を拡大しました。
長年にわたり、標的 in vivo 治療送達のような難しい課題によって業界の成長が伸び悩んでいましたが、現在は多数のオリゴヌクレオチド治療薬が FDA により承認されています。本稿に記載の事例で示された開発と製造など、これらの API の一部の製造に関して、アジレントはバイオテクノロジーや医薬品業界の主要企業と連携する機会に恵まれてきました。
今日、オリゴヌクレオチド治療薬はバイオ医薬品の重要な部分を構成しており、臨床前および臨床開発のさまざまなフェーズにおいて、700 以上のプログラムが存在します。アジレントの核酸ソリューション部門バイスプレジデント兼ジェネラルマネージャーである Brian Carothers は、次のように述べています。「私たちはオリゴヌクレオチド市場において、引き続き 2 桁の成長を実現していきます。Inclisiran のような大規模プログラムの商業承認を得て、アジレントは製造能力を拡大しており、2025 年までに 1 年あたり数トンの原薬を提供できるようにします」
マイクロ RNA の図
今後の方向性
今後の展開として、オリゴヌクレオチドは引き続き精密医療と疾患の分子治療を発展させていくでしょう。アンチセンスや siRNA に留まらず、低分子活性化 RNA、調節 RNA、編集対象部位を特定するアプリケーション固有のガイド RNA により配列特異性を導き出す CRISPR ゲノム編集など、オリゴヌクレオチド治療薬の機序について、複数の新たなメカニズムが示されています。CRISPR に対応するために、アジレントでは SureGuide™(リサーチグレード)や ClinGuide™(臨床/市販グレード)RNA オリゴヌクレオチドを提供しています。
細胞および遺伝子治療はバイオ医薬品において最も急速に成長している分野です。精密医療の変革的な新たな地平となる可能性を秘めており、疾患を治療するだけでなく、実際に完治させることが可能です。そのような躍進のためには、遺伝子の機能を理解し、標的遺伝子を改変または「編集」できることが必要です。それらは、広く利用可能な配列情報によって実現されています。
メガトレンド、メガインパクト
DNA 配列情報はすでに生物学の根本原理となっています。精密医療や細胞製造だけでなく、生物学の世紀で未だに定まっていない技術の波においても、このメガトレンドの影響全体を把握できることを大いに期待しています。
「生物学の世紀」に関するアジレントのシニアバイスプレジデント兼最高技術責任者 Darlene Solomon, Ph.D. によるその他の資料は、themedicinemaker.com をご覧ください。